受診される方
令和5年7月6日付で医療法人青山病院院長に就任致しました青山龍平と申します。
当院は1958年(昭和33年)、私の祖父がこの瀬戸市南山町に20床の内科・外科病院を開院したことから始まりました。当時、この地域は主に田畑しか広がっておらず、医師会の先輩方からは「この場所に病院を開設するのか」と揶揄されたそうです。それから60年以上が経ち、時代とともに当院も変革を続け、現在は主に内科・小児科・整形外科の診療をおこなう89床の病院となりました。
2019年には新たに回復期病棟が完成し、骨折や脳血管障害の患者様に集中してリハビリテーションを提供できるようになりました。当院には他にも、亜急性期疾患の治療をおこなう一般病棟と、慢性期の患者様が長期にわたり入院する療養病棟があり、また、血液透析センターも併設しています。このように、当院は地域の急性期病院で治療を終えた患者様の受け皿となり、主にリハビリテーションや慢性期医療を提供し、在宅や介護施設への移行期を支える役割を担っています。また、当院のような中小病院が在宅診療をおこなう必要性を感じたため、2023年度より在宅診療を開始しました。今後、高齢化が進む中で、在宅診療の必要性が一層高まることが予想されます。
医療環境と病院経営は年々厳しさを増していますが、先代の院長からの教えである「患者様に信頼され、必要とされる病院であり続ける」ことは未来永劫、決して変わることはありません。私を含め職員一同、この地域の医療ニーズを常に考え、患者様から「青山病院に行けばなんとかしてくれる」と言っていただけるよう、頑張っていきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
令和5年7月吉日
安心・安全な医療を提供し、
患者さんとその家族に
信頼される病院を目指します。
全人的医療を提供するための
「チーム医療」を実践します。
地域の医療機関と連携し、
切れ目のない医療を提供します。
名誉院長青山 弘彦
毎年春の訪れとともに、宿命的に職員の何人かは辞め、代わりに新しい人が入ってくる。
多くの古い職員は貴重な存在だ。多少動きが衰えてもさらに長く勤めてもらいたい。体力的に限界といわれると無理に「それでも」とは言い難いときもある。個人的な希望もあるだろうし、院長といえども個人の人生観に入り込む権利はない。
基本的には、働けるうちは勤めてもらいたいと思っている。そんな中、長いこと働き、現在も勤めていてくれる職員には心から感謝している。なにしろ、たった一度しかない貴重な「人生の大半を青山病院のために」尽くしてくれたという一事を思うにつけ、ただ感謝あるのみである。
長く勤めている職員とは以心伝心で、まさに「ア・ウン」の呼吸で通じ合えることも多い。言葉で言わなくても互いに信頼でき、誠実に応えてくれる。まさに病院の宝である。どの職員もすべて必要な人材であり、家族のような存在であると思っている。
数年前から当院には「青鍵会(せいけんかい)」という退職者の会があり、元看護師長だった方が中心となり、年に一度、皆に声をかけてくれて集いを持っている。食事会と初代院長を祀っている仏壇へのお参りをしてくれ、楽しい一時を過ごすのが通例になっている。何十年ぶりに会う懐かしい顔・顔・かおである。退職後もみんなそれぞれに道を歩んでおり、本当に楽しいオールド同窓会である。これも初代院長の青山鍵夫の徳によるものであろう。
今年は3回目であり、前回の集まりで「青鍵会」の名称も正式に決まった。
一昨年は、30名近くが集まって昼食をし、仏壇にお参りをしてくれた後、懐かしい思い出話に花が咲いた。我が家の新築以来、最高に多いお客さんであった。居間の椅子はおろか床にも座りきれず、廊下に座っていた人もいた。遠くは熊本・千葉県から一泊しての参加者もあった。今でも病院に思いを持っていてくれることはありがたい事である。
全員で再会を約し、名残尽きない中をそれぞれの場所に帰っていった。
あとには家族三人が残されたが、遅くまで昔の思い出に至福の時を過ごした。初代院長「慶徳院大応鍵明居士」の遺徳を大切に未来に繋いでゆかねばと再認識した日でもあった。